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終わりなき日々の向こう側。犬班A。という名で、福島の原発事故による警戒区域内での犬猫のレスキューをやっています。 日々の戯言やレスキュー日記を紡いでいきます。 いつか終わるその日まで…。 ![]() 長い夜。
2013-12-24(Tue)
ギンが、死んだ。
もう、二度と抱けない。 静かな最後だった。 静かに静かに旅立った。 ピッピを見送り、エリカを見送り、もうへなちょこモード全開だったあたしを、独占できるまで待っていてくれたのかな。 あたしのことが大好きだったギン。 ギンのことが大好きだったあたし。 相思相愛。 愛し愛され。 幸せな500日近い日々が、終わった。 そしてギンの戦いの日々が、終わった。 ![]() ギンは、警戒区域になっていた南相馬市小高区のあるおうちの飼い猫だった。 警戒区域になってからも、徒歩や自転車で自宅にこっそりと通い給餌をしていた飼い主さんだった。 飼い主さんから保護依頼の連絡があったのは昨年の3月。 飼い主さんが給餌に行っても出てこない日が続き、ようやく姿を見せたギンは、すっかりと衰弱していたそうです。 保護した後は、慢性の鼻気管炎、蓄膿症、腎不全、腎性貧血、口内炎と、悪い所のオンパレード。 食欲にも波がある子だから、点滴と投薬で騙し騙し養生してもらっていたけれど、何故かあたしのことを尋常じゃない程気に入ってもらえていたので、前にいたシェルターを辞めた時に飼い主さんと話し合い、引き取らせてもらうことになって。 飼い主さんに聞くと、小高にいた頃は完全な外飼いの猫で、室内にはほぼ入ったことはなかったそうで。 シェルターに来た当初は、出せー出せーと、一生懸命窓を開けようとしているのを見るのが辛かった。 だけど外に出られないことを理解してからは、あたしにも、あたし以外のスタッフにも甘えるようにはなったものの、いつも孤高の猫って感じで一人お気に入りの場所で過ごす子だと思ってた。 会津に帰った初日、片付けも終わっていない荷物の中に布団を敷いたら、当然のように布団に潜り込んできたギンに、びっくりしたことを鮮明に覚えてる。 ![]() その日からあたしの右側はギンの居場所になった。 左側にはさぶろー。 奪い合うこともなく、さぶろーの側には近寄らず、必ず右側に潜り込んでくるギン。 全盛期にはきっと7~8kgあったんじゃないかな、と思える位のぶっとい手足とでっかい顔。 そのでっかくていかつい顔で、毎日爆音のゴロゴロ音を響かせて布団に潜り込んでくるギン。 寝られないよーと嬉しい笑いを毎日あたしに与えてくれた。 腎不全の治療も途中までは頑張っていたけれど、今年の二月に肝臓まで悪化して、死線を彷徨ったギン。 諦めかけるあたしを見つめる目の力を信じて、ギンの生命力を信じて、なんとか復活してくれて。 だけど復活してからは、お薬を見ると走って逃げたりするようになったから、補液以外の治療らしい治療はもうやめることにして。 ギンが生きたいだけ生きればいいよ、といつも言っていた。 ここ数ヶ月、あたしの手からしかご飯を食べなくなって、毎日毎日布団に潜り込んでギンのためにお皿を持って。 毎日何度もギンとの逢瀬を慈しみながら過ごしてた。 1gでも多く食べてくれると嬉しくて泣き、食べる量が少ない時は悲しくて泣き。 少しでも穏やか日が長く続くことだけを願ってた。 毎日毎日慢性的な寝不足だから、ギンとのいちゃこらタイムと呼んでたご飯を布団の中であげてる時に、ついつい睡魔が襲ってくるのを耐えるのに必死になりながら、毎日毎日過ごしてた。 あたしの寝るのが遅くなればなるほど、枕の上に陣取って、寝る前に撫でれと鼻水垂らした頭をごっつんしてくるギン。 布団にようやく潜り込むと、そそくさと一緒に潜り込んできて腕枕を要求するギン。 でっかいゴロゴロ音のせいで布団に入ると睡魔が吹っ飛ぶことも多かったw 大好きな、 だーい好きな、 幸せな時間。 だけど、もう、いない。逢えない。 昨日の夜は、もう頭も上がらなくなってきて、意識もあるのか無いのかはっきりしなくって。 お世話の合間に何度もギンの様子を見に行くと、その度に尻尾でお返事してくれていた。 バタバタとお世話を終わらせ、膝の上に抱っこして。 名前を呼ぶとゆっくりとパタンパタンとお返事する尻尾を見ながらずうっとずうっと撫でていた。 ![]() 明け方近くなってきた頃には、尻尾でお返事することも出来なくなって。 明け方5:19。 ふうっと大きく息を吐いて呼吸が止まった。 そして、心臓も動くのを、やめた。 重積発作が起きないためには何をしよう、とか、苦しむ時はどうしよう、とか、必死にネットで情報を探していたあたしを置いてきぼりにするように、本当にあっけなく旅立ってくれたことに安堵して。 苦しまなくて、苦しい時間が少なくて、良かった。 長い、長い、夜が終わった。 息が止まる直前までだーだー泣いていたけれど、食べたいものも食べられず、ただあたしのことだけを見てくれていたギンの時間が止まった時は、涙は出ることは無く。 もう、苦しまなくていい。 もう、辛くない。 そのことに、ただ安堵して。 その後はずうっとまた泣いて、泣いて、泣いて。 ギンの身体をずうっと抱きながらただ泣いて。 朝になってちびちゃんのお散歩にヨレヨレになりながら向かい、みんにゃさんのお世話をしてから、飼い主さんに電話して。 昔話を聞いたりしながら、ギンは幸せでしたね、と言ってもらって。 あたしもギンに幸せにしてもらいましたと返事して。 お互いお礼を言いながら電話を切ったらまるこから連絡をもらって。 来てくれるというまるこに頼んで、たーーーっくさんのお花を買ってきてもらい、ギンが照れちゃうんじゃないかと思える位のお花でギンを埋め尽くして。 ![]() 今日、一日だけ。 もう、一日だけ。 長い、長い、夜を一緒に過ごしてから、明日はその身体を脱ぎに行こう。 ダダを喪い、やきそばを喪い、さぶろーを喪い、そしてギンもいなくなり。 あたしの心の中にはでっかいでっかい穴ぼこがぼこぼこ空いていて。 埋まることのない、穴。 埋めることのできない、穴。 みんなの形をした穴を、毎日思い出しながら、 埋まることのない穴を、愛で埋め尽くしながら、 これからも必死に頑張るよ。 愛してるよ。ギン。 大好きだよ。ギン。 ゆっくりゆっくり休んだら、たまにかーちゃんの夢に出てきてね。 かーちゃんは、ギンの形の穴ぼこを、ずうっと開けたまんまで待ってるよ。 大好きなギン。 いつかまた逢う日まで。 バイバイ。 ずうっとずうっと愛してる。 スポンサーサイト
御冥福をお祈りします
でも本当に幸せな子ですよ…大好きなお母ちゃんに長い間良くしてもらって、最期は看取ってもらえて…
幸せに生きてもらうのも大切な事ですが、幸せな死を迎えてもらうのも同じように尊い事だと思います。 残された者の喪失感は慣れるものではないと思いますが… 人間でも幸せな死を迎えられる保証は無いなか、看取ってもらえた猫達は本当に幸せな子達だと思います。 犬班さん逹の愛情とたくさんの思い出を持って、今頃虹の橋の入口に向かっているのでしょう。 もう、痛くも辛くも寒くもない世界へ…お気落としのないように…と言っても無理な事ですが、少しでもご飯を食べてお身体も大切に… ご冥福をお祈りいたします
お辛いでしょうけれど
みんにゃさんの為にも お体お大切に。 管理人のみ閲覧できます
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ご冥福お祈りいたします
ギンちゃん、満足して行ったと思います。
自分の場所、自分のかーちゃん。 かーちゃんを独り占めできるまで、待ったんだよね・・・。 きっとまだ、もう辛くない体で、かーちゃんの周りを、走り回っていますよ。 喪った悲しみの大きさは計り知れませんが、いっぱいいっぱい、ギンちゃんのために泣いてください。 (でも、ちゃんと食べて寝て、してくださいね・・・) No title
みなさんも書いていらっしゃいますが
Aさんの腕の中で虹の橋を渡ったギンちゃん(他の子達も) 少しもこわくなく、痛くなく、むしろ安心して橋に向かって歩いていったと思います。 山や道路で凍ってしまう子もいる中、愛いっぱいの時間を持てて本当に幸せだと思うし、必ずAさんの腕にまた戻ってくると思います。 Aさんのギンちゃんの穴、あいててもとても温かいはず。 ご自愛くださいね。ムリしないでね。 ただ、ただ、
ご冥福をお祈りいたします。 ご冥福お祈りしいたします。
できるだけ食べて、身体に気をつけてくださいね。 No title
かーちゃんの温かい膝の上でギンちゃんは安心して旅立って行かれたのですね。
大好きなかーちゃんを最後は独り占め出来て、ギンちゃんも幸せいっぱいだったんだろうなぁ…。 ブログの言葉からも愛情の深さがとても感じられて、ギンちゃんをどんなに愛していたかが伝わってきます。 たくさん愛してくれるから、それに答えてギンちゃんも側にいたんですね。 これからもギンちゃんは、きっと大好きなかーちゃんのそばにいて見守ってくれるはず。 今はギンちゃんの為だけに泣いて上げてください。 ご冥福をお祈りいたします。 No title
ギンちゃん、母ちゃんに会えてよかったね。
お空で元気に走ってください。 管理人のみ閲覧できます
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