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別れの日。
dada0926.jpg

ダダ。
今の私の最愛のねこ。
2012年9月26日深夜0時20分。
ダダの時間は止まりました。


ダダは、15年以上前、生後三ヶ月位の時に、阿佐ヶ谷駅前の立ち喰い蕎麦屋さんの裏にあるエアコンの室外機の後ろで見つけた猫でした。

兄弟三匹でいるのを見つけました。

三匹は、目鼻もぐじゅぐじゅ、身体はガリガリ。衰弱しきっている姿を見て、どうにかしたい…でも私の家には三匹を受け入れられる余裕は無い…どうしよう…と、その日は悩みながら帰宅し、でもやっぱり放っておけず、翌日見に行ったら、兄弟の内二匹が自転車に轢かれて亡くなっていました。

泣きながらその仔達を埋める場所を探し、残った一匹を連れ帰り、病院に連れていきました。

顔はガビガビ、鼻も塞がっていて、呼吸も辛そう…これはもうもたないかもしれない…と思いながらも入院させ、その後毎日病院に行きました。

数日後、強制ではなく自力でご飯を食べたよと先生に言われ、その日からどんどん元気になりました。

ダダという名前は、入院させている間、顔の毛を全部剃られたその顔が、ダダ星人に似ていると言って先生達がダダと呼んでいたせいで、退院する時には、すっかりダダという名前に反応するようになっていたので、そのままダダという名前になったのでした。

退院後、家に連れ帰り、先住だった銀と桃に会わせたら、銀も桃もダダも、フーもシャーも何も無く、いきなり舐め合い、心配していた私が拍子抜けした程でした。

私が初めて拾った猫ダダは、その後私が拾った30数匹の仔達を、全て受け入れてくれました。

乳飲み子を拾ってくれば抱っこしてお尻を舐めて保父さんをし、中猫を拾ってくれば舐めて安心させてくれて。

本当に、何の警戒も威嚇も無く迎えてくれる猫でした。

ダダを拾った後、家に来たちょび、さぶ、どんぐり、ぷりん、ココ、ヤムヤム、ピット。
そして、今回実家で一緒に暮らし始めた四匹の子たち。
これら全ての子に対して、なんの躊躇も遠慮も威嚇も警戒も無く、ただそこに一緒にいてくれていました。

拾った時の極度の猫風邪のせいで鼻涙管が詰まり、涙が鼻に抜けず、いつも目頭は黒くガビガビ。慢性の鼻気管炎もあったので、いつも鼻水を飛ばしていましたが、人も猫も大好きな子でした。

その後は大きな病気もせず、家に来る子達のお父さんをずっとしてくれていましたが、去年の震災の後、ペットレスキューを始め、福島に通い続ける私のせいで、ダダに大きな負担をかけてしまうことになりました。

去年の夏、レスキューが予想外の出来事だらけで長引き、いつもよりも遅く帰宅し、ドアを開けたら倒れているダダを見つけました…。

私が出かけた後、下痢になったらしく、脱水を起こして倒れてしまったようでした。

大慌てで救急病院に行き点滴をし、翌日、かかりつけの病院で調べた結果、甲状腺機能亢進症と診断され、その日から毎日の投薬と観察の日が続きました。

食べてくれるものを探し、何種類も缶を開け、甲状腺の数値を見ながら投薬量を考え…それでも私はどうしてもレスキューを辞めることができなかったので、福島に通う時は毎回病院に預け…。

病院でも看護士さんや先生に甘え、強制給餌もしっかり受け入れてくれて…。

でも、福島のレスキューも頻度は増すばかりで、ダダの負担を考え、福島に移動させることにしました。

シェルターに行っても、臆するコト無くスタッフに甘えていたダダ。

スタッフから、ダダじぃと呼ばれすっかり可愛がられ、老猫部屋でフーシャー言われてもマイペースで過ごしていたダダ。

本当はどう感じていたのかな。

…今更だね。


その後、私が南相馬に移住し、ようやく一緒にいられる時間が少しだけ増えました。

でも、シェルターでの毎日はやることが満載で、家の子を優先させてあげることは、私にはできなかった。

寂しい思い、していたんだろうな。


実家に帰ってくる一ヶ月前位から、ダダは調子を落としていた。

その調子は上がる気配はもう感じられなかった。

私に出来たのは、上がらない調子を、下がらない努力をすることだけ。

ただ、それだけ。

あとは、ダダの生命力と、ゆっくり相談しながら過ごそう。と思っていた。


そして、実家での生活が始まった。

ダダは、今まで以上に寝る時間が増えていった。

別れる時は近いんだなぁ…と、頭のどこかで感じていた。

それでも、少しでもダダが楽に過ごせる時間を探したくて病院に行き、半日入院して帰宅したその日の夜、ダダは逝った。

病院から帰り、ウロウロと居場所を探すダダを抱っこし、もう頑張らなくていいよと声をかけ、ダダが寝やすそうなダンボールハウスを作ったり、いやすそうな場所に毛布を追加したり。

でも、どんどん呼吸は粗くなり。

もう頑張らなくていいよ。と言いながら、また抱っこしようとしたら、ダダはトイレに向かって歩いていって。

トイレの段差を上がれず、トイレの前に敷いてあるシートでしっこして。

さっき作ったダンボールハウスの前でパタンと倒れて。

倒れたダダを抱き上げたら、もう、酸素を吸い込めていなかった。

ありがとう。ありがとう。待っててね。と声をかけながら、苦しむダダを抱っこして。


最後に私の親指を噛み。



そして、ダダの時間は止まりました。



もっと一緒にいたかった。
もっともっと一緒にいたかった。
ずっとずっと一緒にいたかった。


でも。
苦しむ時間が長引かなくて良かった…。
最期も一緒にいさせてくれて、ありがとう。
今まで一緒にいてくれて、ありがとう。

たくさん泣いたけど
めちゃくちゃ悲しいけど
でも、大好きだった気持ちは消えない。

私がレスキューをしていなければ、とか、もっとゆっくり一緒にいてあげれば、とか、考えはしたけど、それを辞めなかったことを後悔はしない。後悔しちゃいけないと思うから。

私に出来るのは
ダダのコトが大好きだったことを
大好きだったダダのことを
永遠に覚えていること
それだけ。


ダダ。
一緒にいてくれてありがとう。
大好きだよ。
たくさんたくさん一緒にいられて嬉しかったよ
たくさんたくさん一緒にいさせてくれて
本当にありがとう。
またいつか会う日まで
バイバイ。

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(非公開コメント受付中)

No title
こんにちは。
にゃんこはうすさんでのご活動はずっと追っていて、犬班Aさんのツイッターも拝見しています。

ダダちゃん、ゆっくり休んでください。
何も知らない私が言うのもおかしいけど、
きっと幸せだったんじゃないでしょうか。
天国で安らかに。

Re: No title
chilledstateさん。

どうもありがとうございます。

何度見送っても、慣れることはありませんね。。。

まだ無気力人間継続中ですが、何とか立ち直らなきゃ。とは思っています。

頑張りすぎずに頑張りますね。

No title
はじめまして、犬班Aさんのツイッターフォローさせていただいています。ニャンコハウスさんの活動、ありがとうございました。 
ダダちゃん、長い間一緒に暮した愛猫を失うってつらいですね。今回の活動、後悔するものではないけれど、でも、一緒に過ごせない時間が多かったことなど 悔いてしまうことはあると思います。でもニャンコは、不思議とすべてを受け入れてくれている気がします。それが自分達のおかあさんなんだって。一緒にいられる時間が、やさしいまなざしにあふれていたら、それで充分満足してくれていたと思う。 くしくも私の母親が、同日亡くなり、何か他人事のように思えなく、コメントしてしまいました。まだまだお互いつらいですが、やがて時間が、後悔や悲しみを何かに変えてくれることを祈っています。  
Re: No title
harukasumiさん。

コメントありがとうございます。
ツイッターもありがとうございます。

しんどいことも、後悔すべきことも多かったりしますが、でも、後悔はしない。と決めています。

>でもニャンコは、不思議とすべてを受け入れてくれている気がします。

↑これ、解ります。
自分に都合良く解釈する訳じゃありませんが、本当にそうだな。と思う時ってあります。
私の場合は猫だけではなく、動物全般に対して、そう思います。

でも、だからと言って自分に言い訳をしてはいけないと思うので、自分にやれることをやれる限り頑張っていきたいと思っています。

harukasumiさまも、お心がとてもお辛い時間が流れていることでしょう。
どうか、お心、安らかに。。。

どうもありがとうございました。

どうか引き続き見守ってくださいませ。
プロフィール

犬班A。

Author:犬班A。
諦めの悪い40代。
絶対に、命を、諦めない。
例え蜘蛛の糸しか繋がっていなくても。

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